ローマからやってくると、この街の小ささに驚く。こんな盆地にミケランジェロやダビンチといった天才が、同時代に現れたのが不思議になる。観光客はドゥオーモ(大聖堂)に圧倒されるが、私が感動したのは、ウフィツィ美術館で「絵が小さくなる」ことを発見したことだった。
美術館の壮大なコレクションを見ていると、ルネサンスの前までは宗教画だらけなのがわかる。マリア様は、「世界で最も描かれた女性」なのではないか。今風にいうと、「世界最強のインフルエンサー」 しかも、それぞれが大きな絵なのだ。
それは、当時、絵を発注したのは、財力のあった貴族か教会。教会は文盲の農民にキリスト教を説明するための紙芝居としていたのを理解する。今でこそ知識をつけるには本を読むが、それはグーテンベルグの活版印刷以降だったのだ。
その後、豪商など民間人が絵画を楽しむようになり、家に飾る大きさの小ぶりな絵が増えていった。
現代は、ルネサンスに戻っているのではないか。美術館を出るころには、そう思うようになった。
私は東京五輪を楽しんだが、それは、オランダの新聞社が日本語のできる特派員を派遣してくれたからではなかった。SNSに流れてくる映像を追うだけで、9,000km も離れた母国の一大事のおおよそ理解した。現代人は、再び絵で情報を理解する時代に戻ったのではないか。
現代人は、もはやツイッター以上の長さの文を読まなくなっている。映像ですらTikTokの長さに収斂していくことだろう。新聞記者ではなく、アスリート本人が投稿した選手村の食堂の縦長映像を見て、私もアムステルダムの日本食スーパーに冷凍餃子を買いに行った。
@ilonamaher I eat them for every meal #beastbeautybrains #olympics #tokyoolympics #dininghall #tokyo2020 #gyoza #dumpling
♬ original sound – Ilona Maher
Ajinomoto も、縦長映像の威力を実感したことだろう。この動きを理解しないと、市場で手痛い目にあうと思う。イタリアから学ぶことは多い。