【本】戦争と財政の世界史

戦争と財政の世界史 玉木 俊明  2023

 財政からみた大国の興亡史。資本主義はなんとなくイギリスから始まったと思っていましたが、財政(国債発行)から見てみると、オランダから発生したとも見れるという本。

  ネーデルラント(現オランダ)の新教徒に対して、スペインがカトリック信仰を強要したことからオランダ独立戦争が勃発。当時の最大の経済都市、アントウェルペンがスペインに陥落します。非カトリックの市民/ アントウェルペン商人が移住した都市のひとつがアムステルダムでした。

オランダは、世界市場最初のヘゲモニー国家とされる。オランダの国家としての特徴は、非中央集権性、あるいは分裂性にあった。

p.52

オランダでは州が公債を発行していました。

公債の利率は、1600年頃には6.25%であったが、17世紀末には3%にまで低下シた。ジェノヴァを除く他のどのヨーロッパ諸国よりも、オランダの公債の利率は低くなった。

p.53

ヨーロッパで最も金融技術が発達した国でもあったオランダは、ヨーロッパ経済の中心地となったので、重要な商業情報がどんどん蓄積された。(中略)オランダ資金がどこに流れるかは、ヨーロッパ経済の趨勢を左右するほど重要なポイントになっていった。

p.53

オランダ独立戦争(1568 -1648)がオランダの財政を近代化します。オランダは、Staat van Oorlog (戦争国家)と呼ばれました。 

公債購入者の所得層が拡大し、都市の有力者だにとどまらず、船長や水夫、職人層、徒弟さえも公債を購入した。また、しばしば女性が財産として公債を保有していることがあり、連邦債とホラント州債の40%を女性が保有していた。このように女性が社会に大きく進出していたことが、オランダの大きな特徴であった。

 これほど、公債が浸透したのは、オランダ経済が持続成長していたためだと推論できる。

 ヤン・ド・フリースは、オランダには封建制がなかったので、近代的経済成長=持続的経済成長が可能になったと主張した。そのオランダに関して14世紀中葉から19世紀中葉における国民所得の年平均成長率は、0.19%であったという研究もある。

p.58

ド・フリースとファン・デア・ワウデは、オランダを「最初の近代経済」と呼ぶ。

オランダは、1648年のウェストファリア条約で、正式な独立を果たした。しかしそれ以前に、すでにヨーロッパで最大の経済大国になっていた。それは、オランダの「宗教的寛容」のためであった。

p.62

アムステルダムは、ヨーロッパ最大のセファルディム(ユダヤ人)の居住地でした。その結果、人口の流動性も高い状態でした。17世紀、アムステルダム居住者で、同市出身は3割でした。 

17世紀のヨーロッパのヘゲモニー国家オランダは、まだ世界のヘゲモニー国家とはいえなかった。オランダの海外の植民地はあまり多くなかったし、蒸気船が出現するまでは、世界中に大量の商品を輸出することは不可能だったからである。

p.70

 資本主義はイギリスから始まったと思いがちですが、株式会社が始まった国、オランダにもう一度注目してもいいですね。