偉大な経営者がなくなってから、膨大なコメントがネットに流れています。私も、自分とアップルの思い出は記して、その列に加わろうと思います。
私は、おそらく最後のタイプライター世代です。Jobsがアップルを設立してから10年後、私は大学に進学しました。父からESSに入れと言われ、タイプライターをもらいました。iPhoneが世界同時発売する現在では信じられないのですが、アップルのコンピュータは10年経っても、日本の私の目には入ってきてませんでした。
ESSに入ると、英語で文書を作ることになるのですが、タイプライターが活躍していました。「ホワイト」で文字を塗り消して、修正してたのを思い出します。
コンピュータは、大学で授業を取ると触れる機械でした。当時はBASICやFORTRANを学んでいました。
大学2年にあがると、ワープロが普及価格帯に入り、私でも買えるようになりました。編集ができるというのは、タイプライターに比べて画期的でしたが、スピードは遅く、使いづらく、かつフォントはカタカタでした。
4年の時に、始めてマッキントッシュを触りました。マウスを使った操作と、印字の美しさに圧倒されました。このあたりから、個人のコンピューティングが加速していったように思います。
社会人になると友達にapple派が増え始め、94年頃、Performa 5200を買いました。よく落ちたのですが、なぜか許せるというのが、マックでありました。今思えば、私がappleに出会った頃には、Steve Jobsはアップルにいなかったんですね。
しかし、95年に潮目が変わります。イケてなかったはずのWindowsが95で大変身。アップルは苦境に陥り、会社も私もWindowsになってしまいました。
97年にJobs氏は、アップルに復帰。98年にiMacを投入します。私は、勤めていた銀行を退職。浪人になりました。留学の費用を賄うために、工場で働きました。来る日も来る日も、初期不良のiMacを検査し、箱詰めして、運ぶ日々。毎朝、筋肉痛で顔を洗うのが辛い状況でした。iMacは結構重く、これを何十台も運んでいると、腕が上がらず、腰が曲がらなくなりました。
アメリカの大学のコンピュータLabに行くと、” Mac / IBM” の表示。ビジネスの世界ではWindows一色でしたが、教育分野では、マッキントッシュが使われていました。
2001年にソニーの子会社に就職すると、iPod登場。SONYはiTunesに悩まされることになりました。
iPhone / iPadは買ってませんが、仕事をする上で、無視できないものになっています。
極めて雑ですが、スティーブ・ジョブズを振り返ることは、私の世代のパソコン好きにとっては、コンピューティングの20年を振り返ることと同義なのではないでしょうか。
コンピュータには、早く計算するという王道があったはずですが、個人として使う上では、やっぱりUIだったと改めて思います。
中学生から秋葉原通いを続ける私が最大の衝撃を受けた「iMacかわいい」事件を思い出しました。2001年まで秋葉原に若い女性は少なかったでしたし、「かわいい」という基準でコンピュータを選ぶこともあまりなかったと思います。
現在、多くの若い女性がiPhoneを使っているのをみると、やっぱりUIという思いを新たにします。
ご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。