日本の銀行の隠れた偉業として、「国民のほとんどが口座を持っている」ということがあります。発展途上国は、銀行制度も発展途上ということもありますし、先進国でもアメリカだと口座を持ってい人が珍しくはありません。
持ってないと不便だし、口座維持費を取らないので普及しているのですが、国民から信頼されているのだ思います。普段気にしませんが、銀行が持っている情報は、漏れたら困るものばかり。自分の給料、住宅ローンの返済、クレジットカードの利用状況などなど。あまり意識してませんが、命の次に大切なお金に加えて、大切な情報を銀行に預けています。
国が行っている住基カードの普及率が一桁なことを考えれば、利用メリットが少ないというハンデを差し引いても銀行の信頼度は評価してよいのではないでしょうか。
考えて見れば、取り付け騒ぎが起こると、国に助けてもらう(信用を与えてもらう)立場の銀行が、国よりも信頼されているというのは、おかしなことです。しかし、官僚神話が崩れて以来、徐々に国に対する信頼が低下し、年金問題で事務処理能力に対する不安が決定的になった。毎日通勤する駅にある銀行は、窓口を見る限り信頼できそうだけど、市役所の管理は大丈夫かな….。
なかなか数値で測れない信頼度が、国民IDカードなどの合理化の前に大きく立ちはだかっているように思えますね。以前、ご紹介した、『安心社会から信頼社会へ』の主張が重みをましてきています。
では。