日銀総裁の会見を見て、日本のリーダーのコミュニケーションは容易でないと思いました。
欧州中央銀行は、9回連続利上げして政策金利を4.25%にしました。オランダの経済紙fdは、ECBが次回利上げするかは微妙としながら、日本はこれから利上げと、揶揄していました。主要国で最後なのですから、次は利上げとわかっているのに、新聞の論説で注意されてしまうという…。
そもそも、黒田総裁時代に長期金利を操作したことが異常でした。外国為替市場で介入したら、様々な批判も出てきます。債券市場で異次元の介入をずっとし続けていることの方がおかしいのに、それを緩めようとしただけで、こんなにわかりにくい表現になるほど、説明しなければならない。それが今の日本のリーダーの宿命なのだと思いました。コロナ対策と重なります。
実は、日本のようなハイコンテキストな国とSNSは、組み合わせが悪かったのではないでしょうか。
思い出すのは、1999年に、アメリカのMBAのクラスで移転価格を議論したことです。私は授業で指名され、製造側の責任者として、販売側の責任者と交渉しろと言われました。私があっさり販売側の言い値を飲んでしまったので、クラスメイトから批判されました。
この時、私は、アメリカの会社はロー・コンテキスト(空気を読まない)と学びました。たとえば、トヨタであれば、製造側と販売側の責任者は、お互いのことを知っているでしょう。それこそ10何年もトヨタに勤めているので、相手の奥さんが同期で、一度フラレたのに奥さんが離婚したので、結婚したとか、知っているかもしれません。
それぐらい相手のことを知っている(ハイ・コンテキスト)ので、交渉といっても、所詮ケーキをどこで切るかに過ぎず、ケーキの大きさは変わらないのだから、早く決めようとなると思います。
ところが、アメリカは、相手のことをほとんど知らないのです。会社の利益にボーナスが連動することもあるので、仕切値の交渉は、一大関心事。ありとあらゆる論拠を用意してディベートします。こんなことしていたら、品質改善に使う時間が減りますね。それが、トヨタとGMの差なのだと思ったものです。
ところが、ネットは、この状況を変えてしまいました。ネットができて、ローコンテキストな人にも、十分な情報が行き渡るようになったのです。メールで報告は受け取りますし、ググれば社内のことはほとんどわかるようになりました。日本人のように空気を読む習慣がなくても、ビジネスが成り立つようになりました。ネットでちょうどいい「塩梅」になったのですね。
表:コミュニケーションの違いと情報量
コンテキスト | ハイ | ロー |
国 | アメリカ | 日本 |
ネット以前( – 2000) | 少ない | 多い |
ネット以後(2000 – ) | 多い | 多すぎ |
一方、日本は、ネットで自滅してないでしょうか。そもそも、ネットなんかなくても、十分空気を読むのに、その上にネットが重なったことで、配慮する方向がキャパを越えるほどの多くなってしまいました。何か方針を打ち出そうにも、ネットから滅入るような批判が来るので、説明がどんどんわかりづらくなるという。コロナ対策も、今回の日銀総裁の会見も同じように見えます。
先日取り上げた、物魂電才がうまくいかないも、こんなところに原因があるのではないでしょか。星新一のブロンのようですね。ぶどうとメロンをかけあわせて、メロンの実がブドウのようになる植物(ブロン)を作ろうとしたら、ぶどうのように小さな実がメロンほどしかならなかったという。ものづくりの魂とコンピューティングを掛け合わせるには、もう一工夫必要だと思います。