【本】戦後日本経済史

戦後日本経済史
野口悠紀雄 (新潮選書) 2008/1

野口先生の偉大さは、日本経済の本質的な変化が1945年ではなく、1940年にあると喝破しているところにあります。しかも、それを1977年に論文にし、バブル崩壊後もブレない。

本書は、週刊新潮に掲載された連載をまとめたものです。通して読むことで、改めて、日本経済の影の部分がよくわかります。

1940年を境にした日本経済の変質は、商工大臣小林一三と商工次官岸信介の対立を通して鮮やかに描かれています。保守反動政治家と思われている岸次官が、企業は利益を追求する存在であってはならず、「公共的な目的に奉仕しなければならない」とする考え方が、過激な「アカ」思想とみなされたp.244。当時の日本は、欧米と同様にシンプルな資本主義だったことを示すエピソードです。

1940年体制については、付録1(p.253)にまとめられています。

1.財政金融制度

  • 間接金融方式
  • 金融統制: 日銀法(1942)、臨時資金調整法
  • 直接税中心の税体系: 1940年度税制改正
  • 公的年金制度: 船員保険(1939)、労働者年金保険制度(1942)

2.日本型企業

  • 資本と経営の分離
  • 企業と経済団体: 戦時中の「統制会」
  • 労働組合: 産業報国会

3.土地制度

  • 農村の土地制度: 食料管理制度
  • 都市の都市制度: 借地借家法

こうした制度が戦後温存されたことについては、軍需省のエピソードが紹介されています。商工省に戻れば、解体を免れると考え、通常であれば、1年かかるやもしれない名称変更をわずか10日で成し遂げました。

また、金融も戦中の体制が温存されました。

31年においては、企業が調達した資金のうち実に86%強が直接金融によるものであり、銀行貸出は14%に過ぎなかった。p.36

というのは知りませんでした。それが1945年には、93%が間接金融になります。

このように改革が不徹底な理由としては、占領軍が日本についてよく知らなかったからと分析されています。たしかにネットがあるわけでもない当時、日本語を理解し、日本を研究したアメリカ人がそれほどいたとは思えません。

かくして、官僚制度が残されたのですが、「官僚3大得意芸」を紹介していますp.42。

  1. その時点の最高権力者に対する面従腹背
  2. 都合の悪い応報は一切出さない情報操作
  3. 自分たちが必要であるとの最大限アピール

今と変わらないなと思う一方、それでもかつては優秀ったというエピソードがp.88に。

(大蔵省の)高木秘書課長の訓示は、つぎのようにきわめて具体的・実践的なものだった。「諸君の先輩で、酔って警官をお堀に投げ込んだものがいる。ここまではやってよろしい。オレが引き取ってやる。しかし、それ以上はやるな」

そして、日本経済は高度経済成長を経て、オイルショックになるのですが、オイルショックの対応は、今の日本経済についても示唆に富むものでした。オイルショックの対応においては、賃金決定のメカニズムが決定的な重要性を持つ。石油ショックは、ある意味での戦争なのだから、戦時システムがうまく機能したのだそうです。

さらにバブル期へ。18世紀の南海バブルのこの言葉が印象的。

「政治家は政治を忘れ、弁護士は法廷を忘れ、貿易商は取引を忘れ、医者は患者を忘れ、商店主は店を忘れ、そして聖職者は説教台を忘れた」p.144

過去のバブルとの共通点は、

いずれもその当時の経済的新興国に生じたことだ。 p.145

すると次は、インド・チャイナですかね。自国の歴史から実に多くのことが学べるのだと思いました。

では(^^)/~

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