吉田 茂 中公文庫 1999/12
吉田首相の日本の近現代史。
この書物は百科事典で有名なエンサイクロペディア・ブリタニカが、百科事典の付録として毎年出している補追年間の1967年版の巻頭論文として執筆したものに、少々手を加えたものである。p.9
そこから更に半世紀経ったが、高坂教授が執筆したとされる文章は、名文。
明治から築き上げてきた資産を失った描写は、乾いています。
1946年の工業生産は、戦争が始まった1941年のそれの7分の1にすぎなかったし、1945年末から1946年にかけての最悪の月には、石炭の場合は戦前の8分の1、銑鉄の場合には20分の1しか生産することができなかった。p.59
エンゲル係数が60%を超えていたとか。
そんな世の中にもかかわらず、占領軍に寄せられた国民の声は、p.84。
「日本を復興させるものは教育以外にはない。自分たちは戦争によって国を荒廃させ、なにも子孫に与えるものをもっていないが、せめてりっぱな教育だけはしてやりたい」という気持ちを伝えていた。
今、話題の朝鮮戦争については、p.99。
朝鮮戦争が始まってから1年後に、日本の鉱工業生産は50パーセントもふえ、法人所得にいたっては、24年から26年の2年間に3.4倍になったのである。
日本経済の復興については、中産階級の出現を指摘しています。p.109
戦争前とはケタはずれに広範な層が、この消費ブームに加わったのである。なぜなら、戦争後の改革は2つのしかたで、日本経済の木曽をひろげていたのである。一つは農地会買うで、それは、負債の重圧に悩み、低い生活水準に甘んじなくてはならなかった小作農たちを豊かにした。それは当時国民の
4分の1を占めていた貧民を、ほとんど購買力のない状態から、相当な購買力をもつ顧客へと変えたのである。それに民主主義の理念が一般化したことは、労働組合の成長とあいまって、工業部門における冨の分配を平等にした。
100年の振り返りは、p.122。
戦後の日本においてなしとげられたことは、ある意味で明治の日本においておこったことの再現であり、ある意味では明治の日本において始められたことの完成であった。(中略)
攘夷に失敗して西欧諸国の力を知った武士たちがあっさり開国にふみきったように、戦争に敗れた日本人はその敵の美点を認めた。(中略)疑いもなく日本人は「Good Looser」だったのである。
その原動力としては、勤勉さを指摘しています。p.123
家がないために役所の机の上で眠り、起きると食料配給の確保に頭を悩ませていた役人たちは、ときどき日本の将来について遠大な計画を夢見ることも忘れなかった。教室がないので野天で授業をした先生たちは、最も熱心な先生たちでもあったのである。
では。